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東京地方裁判所 昭和28年(行)107号 判決

原告 大沢広三郎

被告 通商産業大臣

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「原告がした特許第一二九、一六二号石炭あるいは石炭類似物質の選炭法の特許権存続期間延長願に対して被告が昭和二八年一一月二七日附をもつてした出願を許可しない旨の決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

一、原告は、特許第一二九、一六二号石炭あるいは石炭類似物質の選別法に関する特許権をもつていた。この特許権の出願の日は昭和一二年六月一七日、出願公告の日は昭和一三年一一月二八日、特許権の登録の日は昭和一四年三月一四日であり、従つて特許権の存続期間は右出願公告の日から一五年すなわち昭和二八年一一月二八日までであつた。

原告は昭和二八年五月二七日通商産業大臣に対し右特許権存続期間延長の出願をした。これに対し通商産業大臣(当時の岡野清豪)は同年一一月二七日右延長願を許可しない旨の決定をし、右決定は翌二八日原告に送達された。右決定の理由は、「現在では硫化鉄鉱焼滓のみを重質剤とする重液選炭法が、最も広く実施されており、この方法においては、粘土の混入を避けており、また装置の改良によつて、他の混入物を要せず目的を達している。この方法と本件特許の方法とを比較すると、種々の点で前者が有利であつて、結局本件特許の方法は重要な発明とはいえないから、延長願は許可しない。」というのである。

然し、右理由とするところによれば、「硫化鉄鉱焼滓のみを使用する方法が最も広く実施されている。」と認定されているが、事実は殆んど使用されていないこと及び右の方法より本件発明の方法の方がすべての点において遥かにすぐれていることその他の点からみても、本件発明による方法は極めて重要なものであることは明らかである。

従つて被告が本件特許発明をもつて、重要な発明でないとして、原告のした前記特許権存続期間延長出願に対して延長を許可しない決定をしたのは違法であるから、取消されなければならない。

このように述べ、被告の答弁に対して、次のとおり述べた。

一、被告は特許権存続期間延長願に対する決定は、被告の自由裁量による処分であると主張するけれども、右決定は法規裁量による処分であつて、自由裁量の余地のないものである。

特許発明は発明者の創造したものであるから、他の財産と同様本来発明者の独占私有に属すべきものである。従つてそれが無形であるという理由により、一定期間の経過にともない社会一般にその発明による恩恵がある程度行渡つたからといつて、社会一般の便宜を重視する余り、発明者個人の権利を無視することは、私有財産制を肯定する日本国憲法の建前に反するものとして、原則的に許されないと考えねばならない。もとより発明者といえども発明による無限大の利益を望み得ないことは当然であつて、法定の特許権存続期間たる一五年間に相当の収益を得た場合に、発明特許を社会一般に公開し、ひろく世人の利用に供することが望ましいが、発明者の努力にもかかわらず、所定期間内に相当の収益をあげ得なかつた場合には、あくまで発明者は特許発明の権利を主張し得るものといわねばならない。従つて特許権存続期間延長願に対する許否の決定については所定の要件を具備している限り、被告は必ず許可の決定をなすべきであり、その要件を完備せるにかかわらず、被告の自由裁量により不許可の決定をなし得るという主張は前記憲法の精神に反するものとして採用することができない。すなわち右許否の決定は法規裁量行為に属するものといわねばならない。

二、かりに被告のした本件処分が自由裁量行為に属するとしても、右決定は、その前提たる事実認定に錯誤があるものであつて、違法な処分である。

右決定は、「現在最も広く実施されているのは、硫化鉄鉱焼滓単味を重質剤とする方法であり、これは本件特許発明より優れている」ので、本件特許発明は重要でないと判断し、これを理由としているが、右判断の基礎たる右硫化鉄鉱焼滓単味の方法が最も広く行われており、かつこの方法が本件特許発明より優秀であるという事実認定そのものに誤りがある。すなわち、(イ)硫化鉄鉱焼滓のみを重質剤とする重液選炭法が最も広く実施されているという点は全く事実に反する。

粗炭選別処理作業中には、どうしても相当量の粘土が重液中に分散して、重液組成に加わることになる。これが本件特許発明の重液に必要な粘土分を形成する。更に重液剤として使用される硫化鉄鉱焼滓の粉末には粘土分が混在する。硫化鉄鉱自体に岩石が含まれないことは当然であるが、右鉄鉱採掘の際相当量の岩石が混入するので、硫酸工場から生産される硫化鉄鉱焼滓には常に若干の岩石分が含まれ、この岩石分が焼滓とともに粉状となり、いわゆる粘土となる。右硫化鉄鉱焼滓粉末中に混在する粘土分によつても本件特許発明の重液に必要な粘土分が形成される。そしてわが国においては、硫化鉄鉱焼滓を使用する重液選炭法の重液回収には一般に多量の粘土分をも同時に回収する方法が採用され、硫化鉄鉱焼滓のみを回収する方法は採用されていない。この回収粘土がまた本件特許発明の重液における粘土主要成分となつている。そして右回収方式は、本件特許発明の重液使用の場合には適当なのであるが、被告主張の単味の方法による場合にこの回収方式を用いることは全くの矛盾である。従つて、被告が、硫化鉄鉱焼滓のみを重質剤とする重液選炭法が最も広く一般的に実施されていると主張するのは、右に述べたわが国の実情を無視した一方的見解といわなくてはならない。

(ロ)次に、被告は本件決定において、硫化鉄鉱焼滓単味の方法が、本件特許発明の方法よりも選別効果の点からも、すぐれていると判断しているが、これもまた事実に反する。

重液選炭法においては、重液の比重の安定性が最も重要な要件であり、重液の安定性が高ければ高い程、選炭効率が高くなるのである。重液の安定性を高める方法には、浮沈分離槽に攪拌装置を設けて、機械的に攪拌する方法と、重液剤により液自体の安定化を計る方法とがあるが、後者が前者よりすぐれている。液自体の安定をはかる方法には重質剤の粒度を微細化する方法と、他の配合剤の混加により、相互に重液剤の沈降を防ぎ、懸濁させる方法とがあるが適当な配合剤があれば遥かに後者が前者よりすぐれているのである。そして粘土と硫化鉄鉱焼滓とを混加する方法によれば、硫化鉄鉱焼滓は純粋なものを使用する必要なく、重液攪拌等の手数がはぶけ、重液回収が容易になる等、すべての点において単味の方法よりすぐれているのである。従つて硫化鉄鉱焼滓単味の方法が本件特許発明の方法より選別効率が高いという被告の判断は事実に全く反するものである。

従つて被告の本件処分は、自由裁量による処分としても、その前提たる事実認定において錯誤がある場合であるから、違法な処分として取消を免れないものというべきである。

三、また被告のした本件処分が自由裁量行為に属するものとしても、次に述べるように裁量の限界を越え、法の目的に反することが明白であるから、違法な処分というべきである。

現在におけるわが国の選炭施設の大部分は、低能率な水洗選別法によつている。そして原告は、終戦まで外地にあり、引揚後も本件発明のため十分の資金を得られなかつたこと、また水洗選炭法から重液選炭法に選炭施設を変更するには多くの資金を要し、わが国炭鉱業の現状から容易でないことなどの諸事情から、本件特許発明の普及のため全財産をなげうつて努力したにもかかわらず、これによる収益は少しもあがらず、本邦における重液選炭法の普及状況は全施設の一割にもみたない有様である。従つて本件特許発明は、試験期を終えて漸く普及期に入つたという実情であり、本件発明がその効用を発揮し、これまでの犠牲が報いられるのはこれからというときになつて、法定期間の一五年が終了したのである。しかも選炭作業が炭鉱業において占める地位は重要であり、本件発明はわが国選炭作業における劃期的に重大な発明である。このように本件発明は重要でありながら、法定期間内に正当なる事由によつてなんら収益をあげ得なかつたのであるから、特許権存続期間は当然延長されなくてはならない。原告は本件特許発明を独占する意思はなく、極めて低廉な使用料をもつてこれを解放することとし、その普及に力を尽くしているのであるから、本件特許存続期間を延長することは社会一般に利益を与えるところ多大であつても、社会の利益を害する点は少しもないのである。他方右存続期間の延長が許可されない場合においては、発明に献身する原告の蒙る物心両面の打撃は甚大であつて、発明の奨励という特許法の目的とする精神に全く背馳するに至るのである。従つて被告の本件処分がかりに自由裁量行為に属するとしても、これは明らかに法の目的に反し、裁量の限界をこえた著しく不当な処分にほかならぬから、違法であるとして当然取消されなくてはならない。

四、なお、硫化鉄鉱焼滓単味の方法による重液選炭法も、原告の本件特許権の範囲内に当然包含されるものである。それ故、被告は本件不許可の決定書において、この硫化鉄鉱焼滓単味の方法と本件特許発明の方法とを比較して、前者は後者より優秀であると判断しているが、右理由自体失当であることは明らかであつて、被告の本件決定は、この点においても、違法な処分として取消を免れないものといわねばならない。

以上のとおり述べた。

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、次のとおり答弁した。

原告主張事実のうち、原告が原告主張の特許権をもつていたことその出願の日、出願公告の日、特許権登録の日が原告主張のとおりであること、被告が昭和二八年一一月二七日特許第一二九、一六二号石炭あるいは石炭類似物質の選別法の特許権の存続期間の延長願に対して、不許可の決定をしたことは、これを認める。その他の点は争う。

特許権存続期間出願許否の決定は、いわゆる行政権の自由裁量に属する行為であり、従つて、当不当の問題を生じても違法の問題を生ずるものでないから、原告の請求は理由がない。

特許制度の根本主旨は、「新規なる工業的発明」をした者に対し、法の定める範囲内において発明者の利益を確実に保護し、発明の奨励促進をはかるとともに、他方において特許権の存続期間を確定期間とすることによつてその発明を公開して一般人の利用を可能にし、もつて社会福祉の増進をはかろうとするものである。ところで、性質及び応用の相異なる各種発明に対し劃一の期間をもつてき束すると、これによつて、発明奨励政策上好ましくない事態を生ずることがある。特許権存続期間延長制度は、この間の矛盾懸隔を調和する意図のもとに設けられたものである。

特許法四三条五項においては、三年以上一〇年以内という制限内で、単純に行政権に存続期間延長の権限を与えている。すなわち、特許法一条においては「・・・・特許ヲ受クルコトヲ得」と規定し明確に権利の発生を認めて、権利者が適法に出願し、発明が新規な工業的発明である場合には、行政権はこれを特許しなければならないように法律によりき束されているが、同法四三条五項においては、単に「・・・・之ヲ延長スルコトヲ得」と規定して出願人の存続期間延長を受ける権利を認めることなく、これを行政権の発明行政の見地からする自由な判断に委ねているのである。

また本延長制度について、特許法は上述の一項を設けただけで他はすべて政令にゆづつているが、特許法施行令において出願人が本延長を受ける権利を認めていると解することは適切ではない。すなわち本延長制度の如く強力な対世的効果を有する独占権の発生は、国民の営業の自由を制限するものであつて、法律の根拠を要するものであり、法律自体認めていない請求権を政令によつて出願人に与えたと解することはできない。このことは施行令の規定からも明らかである。このように特許法施行令が公法上の実体的請求権の発生を規定したものでないとすれば、施行令一条の規定は、出願することのできる者の地位を定めたにすぎない。従つて、本条の定めた三つの要件、すなわち発明の重要なこと、存続期間内に相当の利益を得ることができなかつたこと、かつそれについて正当の事由の存することは、単に出願の要件を規定したにとゞまり、三要件を具備したものは許可すべし、というような行政権を拘束する主旨の条件ではない。

以上述べたところで明らかなように、わが現行法制のもとにおいては、特許権存続期間延長の権限は行政権に委ねられており、一般世人の利益の尊重と発明者の優遇との二つの矛盾する要請を行政権の機能を媒介として調和させ、その国家的見地からする判断によつて産業振興に寄与させようとしているのである。従つて行政権は、その運用において、一般国民の権利ないし法益の保護と、特許権者の保護を通しての発明の奨励とを比較衡量して、許否の決定をすべきであり、そのために出願人の地位が幾分の犠牲を蒙つてもやむを得ないこととしなければならない。すなわち、特許存続期間延長許否の決定は、次にあげる権限の範囲を逸脱しない限り、自由裁量処分として、違法の問題を生ずることはない。行政権が法規に拘束されるのは、(イ)延長年限の点、(ロ)施行令一条に規定する出願要件を具備しない出願を許可すべきでないという点、(ハ)施行令二条ないし七条に規定する手続規定の遵守の点の三点であつて、この限度をこえない限りは、行政権は許否決定についての自由裁量権を有し、行政権のかかる行為は処分の当不当の問題は生じても、違法の問題は生じない。

原告は、「発明は発明者の独占私有に帰するのが建前であり、その発明による相当の利益を収め得ない場合にはあくまでその権利を主張し得るものであつて、かかる見地に立てば存続期間の延長願について法定の要件が具備されている場合は被告は許可の決定をすべくき束されている。」と主張している。然しながら原告の主張する発明者の独占的利益の享受はあくまで法律以前の問題であつてとるに足らないと同時に、これを保護するために設けられた特許制度による特許権は、いわゆるつくられた権利であつて、法律によつて認められた利益以上にはなんら法的効果の認められないことは当然である。

特許権は一五年間の期間を限つて特許権者に対してその発明による独占的利益を与え、これを保証しているが期間延長制度はなんらこのような保証を与えるものでない。たとえ原告が主張するように発明が発明者に独占的利益の追求を許すことを建前としているとしても、法律がそれを認めていない現在においては、なんら法的効果がないことが明らかであり、このことは特許権の如き対世的効果の大きい権利の附与については当然考えられることであつて、原告主張の如き個人的利益の追求は社会的要請とは相容れないものといわねばならない。

更に原告は、出願が法定の要件を具備している場合は許可の決定を与えるべきものとしているが、法律は許可の基準につきなんら定めるところがない。特許法施行令一条に規定する要件は出願要件であつて許可要件ではない。行政庁は出願要件を具備している出願について許否の審査を行うものであり、この場合行政上の考慮を払うこととなる。(このことはこの処分が特許庁長官でなく通商産業大臣の権限となつていることからも看取される。)

以上において明らかなように、原告の右主張は失当であつて、特許権の存続期間延長出願に対する不許可決定は、特許法の目的、法律の構成及び規定からみて当然行政庁の自由裁量処分に属するものといわなければならない。

つぎに被告のした本件不許可決定は法の目的に反しない適法な処分であつて取消を要しないものである。

原告は、「本件出願の要件は完備しておつて、被告のした決定は、事実の認定を誤まり、かつ法の目的に反した違法な処分である。」旨主張しているけれども、存続期間の延長制度が行政庁の自由裁量処分に属することはさきに述べたとおりであつて、たとえ出願要件の認定に誤りがあつたとしても、そのために直ちに決定自体が違法となるものではない。すなわち被告のする許否の決定は、出願の要件を具備したものについて、産業行政上及び特許行政上の考慮を払つて行うものであり、この場合決定の基準となるものは、あくまで行政上の考慮であつて、出願要件ではない。出願要件は、単に出願し得る者の資格を規定するにとどまり行政庁は出願要件を具備しないものについてこれを許可すべき権限を有しないが、たとえこれを完備していてもその出願を拒否する自由をもつているのであつて、出願要件の認定の誤りが直ちに不許可決定処分自体の処分としての効力を妨げるものではなく、違法性を生ずるものとはいえない。

従つて被告のした本件不許可決定は適法な処分であつて、原告の主張は全く理由がない。

以上のとおり述べた。

理由

原告主張のとおり特許第一二九、一六二号石炭あるいは石炭類似物質の選炭法について、特許の出願、出願の公告、特許権の登録、右特許権存続期間延長の出願、これに対する不許可の決定があつたことは、当事者間に争いがない。

ところで、特許法四三条五項、同法施行令一条の規定による特許権存続期間延長の出願に対し、通商産業大臣が行う許否の決定については、原則として、当不当の問題は生じても、違法の問題は生じないものと解するのが相当である。その理由は次のとおりである。

特許法制の根本主旨は、新規な工業的発明をした者に対し、私法上の独占的財産権たる特許権を与えて発明者の利益を保護し、もつて発明の奨励、技術水準の向上を意図するとともに、他方において特許権が排他的性質を有するので、その存続期間を限つてその発明を公開し、一般人の利用を可能にし、もつて社会一般の利益福祉の増進及び産業技術の発展をはかろうとするにある。従つて特許権の存続期間は、発明者の利益保護と社会一般の福祉確保との較量において相矛盾するこの二つの要素の調和をはかるため、特許制度そのものの必然的要求として、設けられたものである。かかる主旨のもとに、特許法四三条一項は特許権の存続期間を一律に一五年と定めているのである。然し特許発明の内容は各種各様であるため、その存続期間を劃一に定めることは、時に実情にそわない不都合を生ずるおそれがある。すなわち特許権の性質、これを受けいれる社会的経済事情の如何によつては、法定の一五年間内に特許発明の内容を実現し得ない場合を生ずることとなり、すぐれた発明を促進し、産業技術の向上を意図する制度本来の目的に背馳するに至るおそれがあるのである。特許権存続期間延長制度は、この間の矛盾懸隔を調節する意図のもとに設けられたものである。この主旨のもとに、同法四三条五項は特許権の存続期間を三年以上一〇年以下これを延長し得る旨定めている。

特許法一条は「・・・・特許ヲ受クルコトヲ得」と規定し、新規の工業的発明をした者は特許権を取得することができる旨を明らかにしているが、一方特許権の存続期間の延長については、同法四三条五項は単に「特許権ノ存続期間ハ政令ノ定メルトコロニヨリ三年以上十年以下之ヲ延長スルコトヲ得。」と規定しているにとどまる。その法文の形式からみると、同法四三条五項は同法一条の規定と対比した場合、特許権者に存続期間延長を受ける権利まで与えたものとは解しがたい。更に同法四三条五項が委任した政令(特許法施行令)が出願人に存続期間延長を受ける権利を与えたものとみることは到底できない。なぜならば存続期間の延長を許された者は、独占的財産権たる特許権を取得するのであるから、かかる国民の営業活動の自由を制限する権利を特定の者に与える場合には、法律上の根拠を要するものと解すべきであるのみならず、法律自体が認めない権利を政令が特定人に与えたものと解することはできないからである。

特許法施行令一条の規定は、単に出願することができる者の資格を定めているにすぎない。すなわち、特許権者は、発明が重要であること、存続期間内に相当の利益を得ることができなかつたこと、かつそれについて正当の事由があることの三要件を具備しなければ存続期間の延長を出願することができないというのが同法条の主旨であり、右三要件を具備した出願に対しては一義的に存続期間の延長を許可しなければならない旨を同法条が定めたものではない。すなわち、右三要件を完備した出願があつた場合にも、被告は存続期間延長という特典を与え発明者の個人的利益を保護することが一時的にうける社会一般の不利益との較量において特許行政上適切であるか否かの考慮を払わなければならないのである。

以上述べた特許権存続期間延長制度の本旨と特許法四三条五項の条文の体裁等から考えると、特許権存続期間延長の許否について、次のとおりいえる。

特許権存続期間延長の出願に対する許可の決定は、存続期間の満了によつて特許権を喪失すべき(あるいは喪失した)出願者に対し、新たに許可された期間だけ、恩恵的措置として、特許権を存続させる(期間満了後の場合はさかのぼつて)形成処分であり、そして不許可決定は、出願者の既存の特許権を消滅させるのではなく(既存の特許権は存続期間の経過とともに消滅する)、単に出願者に対し新たに利益を与えないことを表示する処分であるにすぎない。右のような場合には、特許権者は、権利として存続期間の延長を要求し得るものではないから、結局右許否の決定は、行政庁が、国家の産業行政、特許行政上の見地から判断をくだすべき処分にほかならない、と解すべきである。

換言すれば、特許権存続期間延長の問題は、その性質上、国家の産業行政上の見地から発明内容、発明者の独占的利益の限度、社会経済事情等諸種の事柄を綜合して判断されるべきものであつて、行政権が、その運用において、さきに述べた特許権者の保護を通じての発明の奨励と一般国民の権利ないし利益との較量において、いずれに重点を置くのが国家の政策上適切であるか否かにつき判断をくだして、許否の決定を行うことができるものといわねばならない。従つて存続期間延長願に対して、通商産業大臣のする決定は、国家の政策からみて、不適当であるといえる場合があるとしても、通常は、違法となることはないのである。(しかし例外として、行政権の恣意による処分は勿論違法となる。)

原告は、「特許発明は他の財産権と同様発明者の独占私有に帰するのが建前であり、その発明による相当の収益を得ない場合には、あくまでその権利を主張し得るものである。かかる見地にたてば、特許権存続期間の延長願について法定の要件が具備されている場合は、被告は許可の決定をなすべくき束されている。従つてその要件を完備せるにかかわらず、被告の自由裁量により不許可の決定をなし得るという主張は、私有財産制を認める憲法の精神に反する。」旨主張する。然しながら、周知の如く日本国憲法二九条は、財産権はすべて、その内容を公共の福祉に適合するように、法律で定め得るものとし、また財産権は正当な補償のもとに、これを公共のために用い得ることを明定しているのであつて特許権といえどその例外をなすものではないことは勿論である。すなわち、さきに述べたとおり、特許権が強力なる独占的財産権であることから、法は、国民一般の利益を考慮して、一定の存続期間を設け、その延長の許否を行政権の裁量行為に委ねているのである。このことは、いわゆる公共の福祉による特許権自体の社会的制約として、特許制度そのものから生ずる必然的要求にほかならないのであつて、やむを得ない財産権の制限であると解しなくてはならない。従つて特許権存続期間の延長願について出願要件を具備している場合であつても、行政庁は、特許行政上の考慮からその裁量により、右延長願の許否を決定し得ることと解することは、私有財産制を肯定する憲法の精神になんら背馳するところはないのである。それ故、原告の右主張は失当である。

つぎに原告は、「本件不許可決定の判断の基礎となつた『硫化鉄鉱焼滓単味の方法が最も広く行われており、かつこの方が本件特許発明より優秀である。』との事実認定は誤りであつて、かかる誤れる認定に基く行政処分は錯誤による行政処分として取消を免れない。」旨主張する。然しさきに述べた如く右決定の基準となるものは結局国家の産業行政上、特許行政上の政策的見地からなされる行政的考慮であつて、出願要件ではない。すなわち出願要件を具備した特許権存続期間延長願に対しても、行政庁はこれを拒否する裁量権をもつのである。従つて、かりに硫化鉄鉱焼滓単味の方法がどの程度実施されているか及び右単味の方法と本件特許発明といずれがすぐれているかなどの事実認定に誤りがあり、そのために本件特許発明が重要でないものと認定されたとしてもかかる出願要件に関する事実認定の誤りが、右決定の効力を左右し、当該決定自体を違法ならしめるものではない。

また原告は、「本件発明は重要でありながら一五年間に正当な事由によつて収益をあげられなかつたのであるから、特許権存続期間は当然延長されるべきである。然るに存続期間延長願を拒否し、原告に重大な損害を与えた被告の本件不許可処分は、自由裁量処分に属するとしても、裁量の限界をこえ、法の目的に反すること明らかな著しく不当な処分であつて違法である。」と主張する。然し、既に述べたとおり、特許法施行令一条は、特許権者は発明が重要であること、存続期間内に相当の利益を得ることができなかつたこと、かつそれについて正当な事由があることの三要件をそなえた者に出願資格を与えたにとどまる。

右三要件を具備する場合といえど、当然に特許権存続期間が延長されるとは限らないのである。右出願に対する許否の決定は、発明者の利益と社会一般の利益との較量において、いずれに重点を置くべきかの行政的考慮により定まるのである。後者に重きを置くべし、とした場合前者が犠牲になることは、行政権の運用において避けがたいところといわなければならない。従つて、かりに原告主張の如く、本件は存続期間が当然延長されるべき場合であり、期間延長により社会一般はなんら不利益を受けないが期間延長の拒否された場合に、発明者たる原告の蒙る打撃が甚大であつたとしても、本件不許可処分において行政権の恣意にわたる事跡の認められない限り、右事実から直ちに本件処分を目して法の目的に反する著しく不当な処分と断定することはできない。かような場合にはたかだか当該処分が国家政策的にみて適切妥当であるか否かの問題が起るにすぎないと解すべきである。そして行政権の運用において本件処分が恣意によるものであるということについては主張立証がないから、いまだ被告の本件処分をもつて裁量の範囲を逸脱した違法な処分とみることはできない。従つて原告の右主張も失当である。

なお、原告は、「被告の本件不許可決定書記載の硫化鉄鉱焼滓単味方法による重液選炭法は、原告の本件特許権の範囲内に含まれるから、本件特許権が右単味による重液選炭方法に比較し重要な発明と認められない旨の右決定理由はそれ自体矛盾している。」旨主張するけれども、かりに右特許権の範囲に一部誤認があつたとしても、すでに説明したとおり、かかる出願の要件に関する前提事実の一部誤認によつて、右決定の当、不当が生ずるものとしても、当該決定が違法となることは考えられないから、原告の右主張もまた失当である。

よつて原告の主張はいずれも失当であるから、原告の請求を棄却することとし、行政事件訴訟特例法一条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 入山実 粕谷俊治)

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